春の兆しが見え始めたこの日、東堂学園では第四十回卒業式がとり行われていた。
講堂では在校生および父母らが卒業生の旅立ちを祝福するとともに、
ピーンと張り詰めた空気の中、式は予定通りに進められている。
現在の式次第は『送辞』。
生徒会長である宮川眞輝は、名前を呼ばれるとステージまでゆっくりと歩いていき、
卒業生に礼をしてから壇上に上がった。
いつもは下ろしている長めの栗色の髪の毛は、今日は後ろで一つにしばりあげている。
優しげな印象を与えるタレ気味の目は、今日はキリっとしていて、表情はいたって真面目であった。
普段なら崩して着ている制服も、キッチリと着こなされている。
さすがに先輩の卒業式で、それも生徒代表である会長がへら〜っとした顔でだらしない格好で送辞を読み上げるわけにはいかないだろう。
そんなことをしたら、間違いなく教師陣から一発退場をくらう。
一呼吸置いた後、巻物……ではなくそんなかんじに巻かれた送辞の原稿を読み始めた。
数ヶ月前から草稿を重ね、生徒会顧問である平松から何度もダメ出しをくらい、その度に訂正をし、一時は小学生のように子どもくさい喧嘩に発展したのだが、それでもなんとか先週完成したばかりの原稿だ。
「深々と大地に根を伸ばし、じっと冬にたえてきた草花も、今太陽に向かって、花開こうとしています。この佳き日に、めでたく卒業を迎えられる、三年生の皆様、
私たち在校生一同、心からお祝い申し上げます。
三年前、真新しい制服に身をつつ ……(中略)…… らの出会いや経験は、学生時代のよき思い出として、心に深く刻まれるとともに、これからの人生においても、きっと心の支えとなることでしょう。」
眞輝は、再び深呼吸をしてから静かに目を閉じた。そして、目を開けるとまた続きを読み始めた。
「目を閉じると、私達在校生も、先輩方と共に過ごした、数々の思い出がよみがえってきます。
部活動や生 ……(中略)…… 知識が役立つことと思います。本校で学んだことを、生涯の宝とし、信念を持って未来を切り開いてください。
明日からは、先輩方が残してくれた道標を頼りに、日々を一歩一歩踏みしめながら、今度は私たちがこの学校を担い、歴史ある本校の伝統を守り、さらに誇り高き学校にしていくことを誓います。どうかいつまでも私たちの先輩として輝いてください。
最後になりましたが、今まで大変お世話になりました先輩方の御健勝と、ますますの発展をお祈りして、送辞とさせていただきます。
在校生代表、宮川眞輝」
読み終えた眞輝は、再び一礼をして、席に戻った。
「続いて、卒業生代表による送辞。卒業生代表、相模森吾。」
「はい。」
司会の教頭に紹介され、相模は返事とともに立ちあがり、ステージへ向かった。
そして、一礼をしてから壇上に上がった。
相模は、眞輝と正反対の外見をしている。
比較的がっちりした体系に、真っ黒な短い髪の毛。
ぱっと見、格闘技系の部活に所属していそうだが、実際はサッカー部の元キャプテンだ。
まぁ、なんというか行動・言動はある意味格闘技系かもしれないが……。
相模は原稿を手にして、読み始めた。
「暖かい日々の続いた冬も終わりに近づき、ついに卒業の日を迎える事となりました。今回答辞を読むにあたり、何を言ったらいいものか悩みあぐねていて、多くの推敲を重ねました。卒業生全員の思いを代表できるはずもなく、また、その時にしか分からない想いもあるという考えに至り……原稿なしで喋らせていただくことにしました。」
そして、うるぁっ!!という掛け声と同時に、相模は持っていた原稿を卒業生の席に向かっておもいっきり投げた。
今更だがここは男子校。血気盛んな野郎共がこんな厳かな空気の中でおとなしくしていることが出来るわけがなかった。
我慢の限界を超えた卒業生達は次々に席から立ちあがり、騒ぎ始めた。
歓声に包まれた体育館。今体育館に入ってきたなら、何かの祭りを開催中かと誤解すること請け合い。
しかし、教師陣は止めには入らない。これが東堂学園の伝統だ。
この日ばかりは『卒業生主権』の元に行われるのだ。
静かに行いたければそれもヨシ、大騒ぎしたければそれも可能。それが東堂学園の卒業式だった。
会場を見てみると、卒業生は様々な格好をしていた。クマの着ぐるみを着ている生徒、チャイナドレスで女装をしている生徒、燕尾服で紳士に決めている生徒。
相模も卒業式ということで袴を着用していた。
がしっとマイクを手に取ると、相模は再び答辞の続きをしゃべりだした
「まぁ長々としゃべっても全員退屈なだけだろうから、短めに済ますわ。
在校生諸君!これからこの学校を背負って立つお前らには、数々の試練が待ち受けているだろう。でも、そこで怯むな!突き進め!!どんな大きい壁が立ちはだかったとしても、それを回り道しても良い、その壁を突き崩しても良いのだ。リチャード・M・ニクソンは言った。『人間は負けたら終わりなのではない。辞めたら終わりなのだ。』そうだ、何があっても諦めるな!そういう心の強い男になれ!!」
腰に挟んでいた扇子を手に取り、バサッと開いた。扇子には『祝』と草書で書かれている。
「もう一つ。
一日一日を大切に生きろ。
E・ディッキンスンの≪もし私が一人の心を≫という詩がある。
それをお前らの心に刻んでもらいたい。
『もし私が一人の心を傷心から救ってやることができれば、
私の生きることは無駄ではないだろう。
もし私が一つの生命の悩みを慰めることができれば、
あるいは一つの苦痛をさますことができれば、
あるいは一羽の弱っている駒鳥を助けて
その巣の中に再び戻してやることができるのなら、
私は無駄に生きてはいないのであろう。』」
生徒たちは、うぉーっ!と雄叫びをあげた。中には大号泣する卒業生もいた。
「さて、シメだシメ!お前ら、座れ。最後くらい真面目にいくぞ!」
相模はマイクをマイクスタンドに戻した。
立ちあがっていた生徒たちは素直に、椅子に座って背筋を正した。
それを確認した相模はコホンと咳払いをしてから言った。
「この新しい旅立ちに際しまして、諸先生方の心温まる御指導と両親の私たちを思って下さる気持ちに深く感謝すると共に、東堂学園の益々の発展を御祈念いたしまして、答辞とさせていただきます。
卒業生代表 相模森吾」
中盤と最後の挨拶がいまいちマッチしていないのが気になるが、終わり良ければ全てヨシ。
相模は礼をして満足そうに席に戻っていった。
「続きまして、校歌斉唱。」
歌声が響き渡る体育館。その歌声は外にも伝わっていた。
体育館横に並ぶ桜の木には、芽がほころび始めていた。
+ + +
式終了後、卒業生および在校生たちは玄関前に集まっていた。
先輩と後輩の最後の交流の場。
部活動毎に集まり、後輩から先輩に花束や色紙を渡したりしている集団も見える。
その集団の一つにサッカー部の集団があった。
「キャプテーン!俺、あの詩マジ感動したっスよ!!」
キャプテンこと相模に泣きついているのは、小上京介だ。
健康的に日焼けした肌に、寝癖のついた黒髪。
眞輝と同じく生徒会役員の一人である。
標準の身長のはずだが、相模と比べるといささか小さく見える。
「そうかー、嬉しいなあ。ほーれ、泣くなって京介。男だろ!」
相模は京介の頭をガシガシと撫でた、というか髪の毛をかきまわした。
「泣かずにいられないっス。あの、詩には感動したっス!」
「キャプテン、実は愛読家だったんですか?」
号泣している京介を傍観していた次期キャプテンの葵駿が尋ねた。
彼も生徒会役員である。ポジションは書記。
相模と並ぶぐらいの長身。色素が薄く少しクセのある髪の毛がよく似合っている。
「いーや?俺、小難しい本なんて読まんぞ?」
相模はしれっと答えた。
「さっき詩を暗誦してたじゃないですか。」
「あぁ、ホレ。」
そう言って相模は腰に挟んでいた扇子をぽいっと投げて駿に渡した。
開いてみると扇子の表には『祝』と書かれており、
その裏を見て駿と京介は脱力感を覚えた。
「キャプテン……これ、カンペじゃないですか。」
扇子の裏には先ほどの≪もし私が一人の心を≫が全て書かれていた。
思い出してみると、詩を読む前に扇子を開いていた気がする。
「だって、そんな長い詩なんて覚えられないだろう。」
「だったら言わなきゃいいじゃないですか。」
「最後だし、ちょっと博識なイメージを与えてから卒業したかったんだよ。」
再び駿は呆れた。今更見栄を張って何の得になるというのだろうか。
「お、京介もう泣かないのか?」
「いや、さすがに涙も止まるっス……。」
「そうか。良かったな。」
良くねぇよ、京介は密かに心の中でつっこんだ。
無駄な涙を流した気がする、17の春であった。
+ + +
4月、真新しい制服に身を包み、入学してきた新入生。
入学式には、新入部員獲得に燃える部活が勧誘合戦を繰り広げていた。
そんな中、人気のある部は勧誘なんぞしなくても新入部員ガッポ。
W杯のおかげでブーム真っ最中のサッカー部は、2年生が適当にポスターを作って、
適当に貼り、3年生は部室で待機をしていた。新入生が訪問してきた時のためである。
新入生が入りやすいように、部室のドアは開け放たれたままだ。
入り込む穏やかな風が心地よい。
「もう少しで入学式終わるな。」
壁にかかっている時計をチラッと見て、駿が呟いた。
部室の中には長机が島を作っており、その周りにパイプ椅子が何脚か置かれていて、
部員はそこに座って漫画を読んだりメールを打ったり、していることはバラバラだった。
そんな中で、机に突っ伏してグースカ寝ている部員が約一名。京介だ。
生徒会副会長であるが、『入学式には出るな』と眞輝にダメだしをくらったため、ここに居る。
『京介が何かおかしなことをやらかして、新入生の父母に無駄な心配をかけたくない』、という思いから出席を拒否した。
駿はキャプテンという立場上、入学式出席は免除されたが、恐らく眞輝と海斗が他の実行委員を仕切りながら、頑張ってくれていることだろう。
海斗、とは生徒会会計である。
真っ黒な髪に真っ黒な瞳を持つ、純日本人的な見た目を持った青年だ。
その明晰な頭脳と作業能率の良さからから、いつも1人で3人分ぐらい働く。
それに引き換え京介はというと、いつも1人で3人分ぐらい仕事を増やす。
「すいません。話聞きたいんですけどー。」
「お邪魔していいスか?」
早速、新入生二人が現れた。
「どうぞ、そこ座って。」
駿は即座に立ちあがって、空いていた椅子に二人を促した。
「ほれ、京介!起きろ!」
「ぐー……」
駿は京介を起こそうと試みるが、予想通り失敗。最終手段決行決定。
「俺、先月のテストで京介が赤点だった答案隠してるところ知ってるぞ。クローゼットのカラボックスの上から……」
「はいっ!起きます、すみません!!」
母・英子にバラされるのを恐れた京介は即座に起床。
英子と駿は何気に仲が良いのである。
京介が何か不祥事を起こせば、何故かいつも英子は知っていた。
どうしてかと悩んでいたのだが、その謎は最近解けた。
英子と駿はメル友だったのである。ちなみに駿は京介の妹・麗奈ともメル友らしい。
京介は戸口に立っている新入生をチラっと見た。するとそのうちの1人とバチコーンと視線が合わさった。
「あ、小上さんですよね?!」
「はい?!」
いきなり名前を呼ばれて驚いた京介は反射的に返事をした。
「俺、小上さんのファンなんです!中学入った時にうちの学校と小上さんのところの学校の試合を見て、俺めっちゃ感動して……。それで小上さんに憧れてサッカー始めたんス。でも、俺全然下手くそでセンスなくて、一時は諦めようと思ったんスけど、やっぱりたくさん練習したら小上さんに少しは近づけるかもとか思って、毎日休まないで練習して、3年になってからやっとレギュラーになれて、それで東堂を目指そうって思ったんス。合格したら絶対サッカー部に入って小上さんとプレーするんだって決めてて、あーもー本物が目の前にいるのってマジ感激っス!あ、俺、福田陽二っていいます!!」
「……お、おうっ!小上京介、です。」
弾丸トークをかましながら近づいてくる陽二の勢いにビビリつつ、京介は必死に頷きながら話を聞こうと努力した。あまりの早さに理解できたのは最後の名前だけだったが……。それでも自分を知っているということだけはなんとかわかった。
いきなり現れた新入生に圧倒され、無意識に敬語を使っている京介の姿に、他の部員たちは笑いをこらえていた。
「すみません、あいつ夢中になると喋りが止まらないやつなんで……。」
陽二と一緒にいた新入生が駿に謝った。そんな陽二の相方に駿は笑顔で返した。
駿が視線を流すと、陽二の弾丸トークにまだ圧倒され続けている京介の姿があった。
「いや、あいつもたまには誰かに振り回されるのもいいかもしれないしな。君が気にすることはないさ。こっちも振り回されっぱなしっていうのは、癪だからさ。」
「そうなんですか。俺も、あいつにはいつも振り回されてますよ。」
「お互い、苦労してるんだな。」
二人は、京介と陽二の姿を見て苦笑した。
「それで?入部する意思はどのくらい?えーと……」
「永山です、永山克樹。いや、もう入部の意思は固まってます。あとは練習の日程とか聞きにきたんですけど。」
駿の問いに、克樹は即答した。
「そうか、だったらこの入部届に必要事項を書いて明日でいいから持ってきてくれるか。練習はー、とりあえず今日の14:00から軽くするから、見学してってくれてもいいし。」
「わかりました。」
克樹は駿から2枚の入部届を受け取った。
今年の新入部員は、16名。
その中には、もちろん福田陽二も含まれており、京介には異常なほど懐いてくれる大変可愛い後輩がでたのである。
「小上先輩、聞いてくださいっ!昨日の夜テレビでレアルの試合見てたんスけど、ここでロナウドがやってた……」
「お、おうっ!」
「〇Ψ±※〒……」
「……おう?(もうわからねぇ)」
「〓∵這塔ハ♪∝……」
「だぁ〜!!陽二、もう少し落ち着いてゆっくり話せ!!」
京介、ついにキレる。
それでも、陽二の弾丸トークは治まることはなかった。
――――――――――――― 京介の苦労は続く。