これからはじめるCFD
夏が終わる前に



11. 大人びてて好きじゃない



「ウィーン会議主催者のオーストリア外務大臣」
「タレーラン?」
「メッテルニヒ!」
「三宅くん正解。古賀くんのタレーランさんはフランスの人」
「あーそうだっけ」
期末テストまであと一週間。今日から部活は活動停止だ。
放課後、前に三人でご飯を食べたファミレスで勉強会をしていました。
今日はいつも部活が終わるぐらいの時間まで頑張りました。
帰りの電車の中でも私は問題を出し続けます。
「んじゃ、タレーランさんが提案したウィーン会議の基本原則は?」
「正統主義!」
「はい三宅くん正解」
「浩紀答えるの早いよ」
「この辺りは結構勉強した。けど、その後の自由主義運動のあたりはボロボロ」
「覚えにくいよね。私も苦手だ」
1820年代を中心に自由主義運動が広がって行くんだけど、その辺りが混ざるんですよ。
流れもごっちゃごちゃになるし。私の場合はですけど。
「あのさ、『カルボナリ党』って出てくるじゃん」
「出てくるね」
「そーだな」
1820年にイタリアでカルボナリ党が政治的自由を要求して反乱をおこした事件があります。
革命を起こそうとしましたが、最終的に失敗しましたけどね。
「その訳が『炭焼き党』って違和感を感じざるをえないよね」
「イタリア語で『炭焼き』って意味だったんだから仕方ないだろ」
「でもなんで当時のカルボナリ党の人達はそれをチョイスしたんだろう」
「言われてみればそうかも」
別にバカにしているわけではない。
ただ、他にもっと良い名前があったんではないかと思えてしまうわけです。
「そんじゃ次の問題……」
「どーした瀬戸?」
「瀬戸ちゃん?」
「今、なんか聞こえなかった?」
車内をぐるっと見渡してみる。
通勤ラッシュが過ぎた車内はまばらで、車両内をある程度は見渡せた。
けれど特に不審な様子は見つからなかった。
「なんかって何だ?」
「女の子の声、みたいな」
「女の子?」
三人で再び車内をぐるっと見渡していると、
「助けて下さい!この人痴漢です!」
車両の真ん中に位置するドアに寄りかかっていた私たちにはその光景を見ることが出来た。
座席に座っている人達の頭の向こう側に、私たちのいる場所より進行方向に近いドアのところに、スーツを着た男の人の腕を掴んでいる女子中学生がいた。
車内が一瞬にして騒然となった。
ちなみにどうして中学生かわかるかというと、有名私立大学付属中学の制服を着ていたから。
あんだけ有名なら私でも知っている。
「お、お前なんかに触るわけないだろ!」
「うそ!だって、手が……」
「はぁ?自意識過剰なんじゃねーのか?!俺は何もやってない!」
手を掴まれたまま無実を主張するサラリーマン。
女の子の方は、不安と恥ずかしさからか顔を赤くして今にも泣いてしまいそうだった。
しかし、車内の人々は当事者の二人を遠巻きに見ているだけだった。
「助けて下さいって言われてもさ、どうしたらいいかわかんねーし」
「これで捕まえて冤罪だったら俺らも同罪ってわけだろ?関わりたくねーよな」
近くのつり革に掴まっていた男子高校生二人組からそんな会話も聞こえてきた。
「ったく、どいつもこいつも」
「瀬戸ちゃん!」
「おい、瀬戸!」
気付いたら体が動いていた。
心配して古賀くんと三宅くんも後をついてきてくれた。
「大丈夫?」
私より背の低い女の子の頭をポンと撫でてからハンカチを差し出した。
女の子が私の顔を見たのでニッコリ笑うと、そこで彼女の涙腺は決壊した。
大粒の涙を流しながら、私の制服のシャツの裾をギュッと掴んだ。
「一人で不安だったんだよね。もう大丈夫だよー」
よしよし、と彼女の頭を優しく撫でる。
「俺は何もやってない!そいつが勝手に……」
サラリーマンがふと後ろを振り向いて絶句した。
「え、なんスか?」
背後には180センチを越える長身を持ち、なおかつ野球部で鍛え上げたガタイを持つ三宅くんが立っていたからだ。
自分の顔を見て黙りこんでしまったサラリーマンを見て、三宅くんは訝しげな顔をした。
「ここでモメてても仕方ないし、次の駅でみんなで降りようか。いいかな?」
私が出来るだけ優しく女の子に言うと、女の子は不安そうに一度頷いた。
「大丈夫大丈夫。できるだけ、私たちが一緒にいるからね」
そう言うと女の子は私の袖を握る力を一層強くして頷いた。
「そこのお父さんもいいですよね?」
「なんで俺が!俺は何もしてない!言いがかりなんだ!」
お父さんは女の子を指差して声を荒げた。
「うん。そうならそうと後でちゃんと証言してください。ここでモメてても目立つだけですし、良い事ないですよ」
「車掌さん連れてきたよー」
しばらく姿が見えなかった古賀くんが車掌さんを一人連れて戻ってきた。
「次の駅に駅員が待機してるので、皆さん降りていただけますか?えーっと、とりあえず君たちもいいかな?」
「全然問題ないっす」
「っていうか、最初からそのつもりでしたから」
「断れてもついていきますよー」
私たちは最初からそのつもりでした。


駅について、車掌さんと三宅くんがお父さんの両脇を挟んで電車を降りる。
ドアの前にはすでに二人の駅員さんが待機していた。
駅員さんにお父さんが引き渡され、駅員室へと連れて行かれることとなった。
三宅くんと古賀くんが並んでその後に続き、さらにその後に私と女の子が続いた。
と、そこで私はお父さんのスーツを見てあることに気付いた。
「ねぇねぇ」
「はい?」
「ちょっと聞きたいんだけどね、」
私は女の子にそっと耳打ちをした。それに対して女の子は、
「え、どうして知ってるんですか?」
驚いた表情で私を見た。
「ちょっとスカートの裾の裏触らせてもらってもいいかな」
「はい」
私は女の子の後ろに回って、スカートの裾裏に沿って指を滑らせた。
スカートを半周した後、自分の人差し指を見て確信を持った。
そして女の子にもソレを見せた。
「コレだよね?」
「そうです」
「証拠、見つけちゃったね」
「え?」
女の子はもともとまん丸だった目を更に丸くした。
「瀬戸ちゃーん!早くこっち来てだって!」
「今行く!」
古賀くんに呼ばれて私たちは駅員室に向かった。

私たちが駅員室に入ると、お父さんは既に無罪の主張を始めていた。
「俺はやってないんだ、アイツのいいがかりだ!」
女の子を指差して声を荒げた。女の子はおびえて私の後ろに隠れた。
「ちょっと、お父さん失礼しますよ」
「は?」
私はコチラを指差すお父さんの右腕をガシッと掴んだ。
「何すんだ!」
お父さんはびっくりして腕を引こうとしたが、咄嗟に三宅くんも加勢して腕を掴んだため腕は空中に固定されたままになった。
「お父さんって、ペンキを使うお仕事されてるんですか?」
「ペンキ?そんなもの使わないさ!早く離してくれ!」
私はお父さんの離してくれという言葉を無視して続けた。
「じゃあお父さん、このペンキどこで付けたんですか?」
「ペンキ?」
お父さんだけでなく駅員さん、三宅君、古賀くん、女の子の視線が一斉に私が指差すお父さんの腕に集中した。
それは、お父さんの腕の手首と肘の中間あたり。
紺色のスーツにかすかに残る黄色いペンキ。
「なんだコレ?」
お父さんはいつ付けたのか自分でもわからないようで、首をかしげた。
「コレと同じ色ですよね」
私は自分の右手の人差し指を見せた。
そこにはお父さんのスーツについたのと同じ黄色いペンキ。
「え、瀬戸、お前ソレどうしたの?」
三宅くんは私の指先をマジマジと見つめた。
「コレね、女の子のスカートの裾の裏側についてたものなの」
「なっ?!」
お父さんの肩が大きく揺れた。
「彼女ね、いま学祭の準備中で看板作る作業してるそうなんですよ。今日に限って着替えないで作業してたそうだから、看板の上に座って作業してる間に知らないうちに付いちゃってたんでしょうね。さっき直接触って確認したら、まだ半乾き状態でした」
感心したような驚いたような表情で見る駅員さんや三宅くん、古賀くんとは反対に、みるみる顔が青ざめていくお父さん。
「さーて、お父さん。なんで袖口じゃなくてそんな中途半端な場所に彼女のスカートの裾裏と同じ色のペンキがついているんでしょうね?わぁ、不思議だなぁ」
そう満面の笑みで言ってやると、お父さんは完璧に顔色を無くした。
その後のお父さんはというと、先ほどとは正反対に自分の罪を認め、仕事が行き詰まってただのなんだのと言い訳をペラペラと話だした。
まぁ、罪を認めた後どうするかは警察と女の子の判断に委ねるしかないだろう。

「あの、ありがとうございました!」
「本当にお世話になりました!もうなんとお礼をしたらよいか」
女の子とお別れするとき、ものすごい勢いで女の子に感謝をされた。
ついでに女の子を迎えに来たご両親にも。
そらもう、こちらが恐縮してしまうほどに。
お礼がしたいから連絡先を教えて欲しいという申し出はなんとか断ったが、もし今後証言が必要になった場合に備えて連絡先だけは教えておいた。
だがお礼は気持ちだけで十分だということを最後に強くに念押しして。

「二人ともごめんね、テスト前なのに付き合わせちゃって」
途中下車した駅で次の電車を待っているとき、二人に謝罪をした。
テスト前に一分でも一秒でも惜しんで勉強していたいはずなのに。
私が勢い余って自ら巻き込まれたせいで二人に迷惑をかけてしまった。
「なんで瀬戸ちゃんが謝るの?人助けしたんだよ?もっと誇らなきゃ」
「そうそう。そういうのお前の悪いとこ」
「うん?」
「俺らがなんか文句言ったか?嫌な顔したか?してないだろ。俺らは自分の意思で決めてついていったんだよ。何でもかんでも自分が悪い、責任は自分にあるって考えるの、お前の悪い癖だぞ」
まさかそんなこと言われると思ってなかった。
三宅くん語りに私も古賀くんもポカーン。
そんな私たちを見て三宅くんは焦って弁解をはじめた。
「いや、別に怒ってるとか責めてるわけじゃねーからな?そこまで何でもかんでも背負い込むのはよくないって言ってるだけ」
「そうだよ、瀬戸ちゃん!俺らまだ未成年なんだからさ!自由に生きようよ!謝るのも責任取るのも大人の仕事!俺らはそこまで大人ぶる必要ないって!」
「いや、英志は自由すぎるぐらいだからもう少し考えろ」
「ちょっと、浩紀ヒドくない?そこは『そうだね』って同意しようよ」
「ゴメン。そこは、私も同意できかねる」
「えー、どういうこと?二人して供託してなんなの、もー!」
古賀くんはほっぺたをプーと膨らませて拗ねたような顔をした。
その顔があまりに可愛くて面白かったから、私は笑わずにはいられなかった。


自分を受け止めてくれる人がいるのなら、


もう少し、自分に素直に生きるのも悪くないと思った。


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