負けてしまった。
インターハイ予選スタートまで数日と迫ったこの時期に。
予行演習として行なわれた練習試合。
格下だと思われた相手に負けた。
こちらだって手を抜いていたわけでも油断していたわけではない。
身体的にも精神的にも万全な状態だったはずなのに。
どうして。何がいけなかった。わからない。全く理解できない。
シュートをすればことごとく外し、ガードもうまくいかない。
こんな自分は初めて見た。
試合の後部室で着替えていると、同じく隣で着替えていたなっちゃんが私の肩をポンと叩いて、
「ますみ。肩に力入り過ぎだよ。もっとリラックスしなって。アンタ一人で試合してるわけじゃないでしょ。勝っても負けても誰の責任とかないんだから」
「えへへ、そうだね。ゴメンなっちゃん。気をつけるね」
なっちゃんにはそう答えたけど、自分ではリラックスしているつもりだった。
監督だけでなく後輩達にも心配された。情けない。
こんなんじゃ副部長失格だよ。
「なんかもう、どうしたらいいんだろうね」
そう一人呟いたけれど、それは誰の耳に届くこともなかった。
そっと目を閉じると、一滴の涙がこぼれた。
「瀬戸ちゃん、なんか元気ないね」
「え、そう見えた?」
「どした?もう腹減ったか?」
「ちょっと、どんだけ食欲旺盛キャラよ私。さっきお弁当食べたばっかりなんですが」
前の席の二人が椅子に座ったまま体をこちらに向けて、心配そうな顔をしていた。
つい五分前にお弁当とデザートのプリンを完食し終えたばかりですけど。
「大丈夫だよ。なんでもないよ」
「なんでもないような顔してねーぞ」
「ウソ?!」
「ホント。なんていうか、思い詰めてるというか、悩んでるっていうか」
「わかった。恋の病だ」
古賀くんが右手人差し指をピンと立てて、楽しそうに言った。
「そうなの。高校最後の夏だし、恋に燃えてるの」
「恋してますって顔もしてねーぞ」
「どういう顔?」
「女って恋すると綺麗になるっていうじゃん」
「それは私が全く綺麗になってはいないっていう……」
失礼なんじゃないかそれ。
「浩紀、それは失言だよ。ちょっとオブラートに包んで“輝きが足りない”ぐらいにしないと」
「古賀くんもなんとなく失礼だよ」
私がそう言って古賀くんを見ると、彼の目線が私から反れた。
教室後方のドアをじっと見た後、
「俺、ちょっとトイレ行って来る」
そう言ってさっさと教室を出ていってしまった。
残された私と三宅くん。
「なんか慌てて行っちゃったけど、切羽詰まってたのかな」
「いや、飯食う前に一回用足しに行ったんだけど」
「じゃあ、大きい方かな」
「お前さ、元気ない顔してっけど発言はいつもと変わんねーのな」
「だからいつもと同じだって」
「まあ、瀬戸が言いたくないっつーなら追求はしねーけど。なんかあったら言えよ?話ぐらいは聞いてやれっからさ」
「ありがと、三宅くん」
三宅くんや古賀くんだって夏大を控えてるんだ。
迷惑なんてかけられないよ。
でも、気持ちは嬉しいよ。ありがとう。
そして昼休み残りの二十分はあっという間に過ぎた。
古賀くんが戻ってきたのは五時間目開始の一分前だった。
午後の授業も無事終了し、部活もその後の自主練もあっというまに終わった。
やっぱりシュートの調子はあまりよくなくて。
得意なはずのスリーポイントシュートも尽く外して。
なっちゃんや監督も、気持ちを落ち着けるためにしばらく休んだ方が良いって言ってくれたけど、それはできない。疲れているのは他の部員も一緒だから。
このまま下がり調子だと、もしかしたらスタメンから外されちゃうかな、とか考えながらボールを片付け、軽くモップがけをして体育館を後にする。
部室までの廊下は必要最低限しか電気が付けられていない。
薄暗い廊下は、私の気持ちを更に暗くさせた。
知らず知らずのうちに出る溜息。なんだかなぁ、もう。
「なんだ。アレ」
そして部室に近づくに連れて、女バス部室出入り口脇にペットボトルが置かれているのに気付いた。
「こんなところに猫水?」
なんて思ったけれど、それは未開封のスポーツドリンクで。
その隣にはちょこんと私の好きなプリンが置いてあった。
一瞬なっちゃんの差し入れかな、と思ったけど、それはペットボトルに油性ペンで直書きされたメッセージによって間違いだと気付く。
“瀬戸ますみ様
練習お疲れさまです。
僕はあなたの一番のファンです。
いつも応援してます。
全国に向けて、頑張って下さい。
大丈夫。勝てるよ。
柴 むらさきのバラの人より”
そのメッセージの横には花らしき絵が描かれていて。
さらにその横に矢印が引かれ“むらさきのバラ”と解説が付け足されていた。
このお世辞にも綺麗とは言い難い字だとか。
紫という漢字を間違えて平仮名で書き直すところとか。
絵心のない絵をあえて描こうとするところだとか。
こんなことをする人を、私は一人しか知らない。
「100%古賀くんじゃんか」
―――― じゃあ、対抗して俺もラブレター書こうかな
「ラブレターっていうか……ファンレターじゃんね」
一方のプリンのパッケージにもメッセージが書かれていた。
“オレが初めて瀬戸のプレー見たとき、
お前は本当に楽しそうだった。
見てるだけでわかった。
バスケ、好きなんだろ?
みやけ むらさきキャベツの人より”
「“むらさきキャベツの人”って……」
思わず笑いがこぼれる。
きっと書き直しをしたのは、古賀くんだ。そして三宅くんは抵抗したに違いない。
この時の二人のやり取りが目に浮かぶようだ。
そうか、好きだからだ。
バスケが好きだからなんだ。
プレーしてるときは最高に楽しかったし、勝つと嬉しくて、負けると悔しかった。
だから一生懸命練習した。シュートが入るように何度も何度も。
その時に自分にできる最高のプレーをすること。
それが一番の目標だったはずなのに。
私が一番に自分を信じてあげなきゃいけないのに。
ごめんね。信じてあげられなくて。
いつもは冗談ばっかりで、真面目なことなんかほとんど言わなくて。
だけど、そんな彼らがくれた言葉は、
―――― 大丈夫。勝てるよ。
―――― バスケ、好きなんだろ?
私が一番欲しかった言葉で。
出口が見えずに迷っていた私には、進むべき道を指し示すように輝いて見えた。
―――― うん。大好きなんだ
もう二度と、絶対に悔し泣きなんてしない。
だけど、いま私が泣いているのは、
君たちが優しすぎるから。