「今日の体育、女子は何するの?」
「毎年恒例のマラソン。男子は?」
「今日からバスケだってさー」
「うわ、羨ましい!なんとかあたしも男子に混ざれないかな」
次の授業である体育のために更衣室に向う途中、お隣を歩く古賀くんから聞き捨てならない情報を得た。今日は授業でバスケをするなんて男子が羨ましすぎる。
「無理だよね。心意気だけなら瀬戸ちゃんも男子に負けないんだけどね。やっぱり女の子だからね」
「男気ならそこら辺の一般男子生徒には負けないんだけどな」
「あー。瀬戸の男らしさは半端ねーよな」
古賀くんを挟んだ向こう側を歩いていた三宅くんが一人納得するように呟いた。
「男らしいって。失礼だよ、三宅くん」
「自分で言ったんだろ。男気なら負けないって」
「“男気”と“男らしい”は別でしょ?!」
一般女子よりはどちらかというと男に近い性格なのは自覚してはいるものの、やっぱり“男らしい”と言われると不服だ。
「あー……日本語って難しいよな」
「ちょっとー」
「あーほら瀬戸。一体はあっちだぞ。行って来い」
三宅くんは廊下を右に曲がった向こう側、第一体育館の方を指差して行った。
女子が着替えるのは第一体育館の更衣室。男子が使うのは第二体育館。
ちょうどその分かれ道となるところへ差し掛かったところだった。
「後できっちり話しつけるからね。逃げないでよね」
そう言い残して私は二人と別れた。
「浩紀さ」
「あ?」
「やっぱいいや」
「なんだよ」
「たいした事じゃないよ。俺らも急ごうか」
「マラソンとか超鬱なんだけど」
「そう?たかが3キロなんてたいした距離じゃなくない?」
「瀬戸は運動部だからそんなことが言えるんだ」
「あ、ちょっ、痛い痛い!スガちゃん痛いっす!」
グラウンドで柔軟体操そしていると、柔軟の相方である菅原麗ちゃんが前屈をしている私の背中を思いっきり押してきた。
菅原麗ちゃん、通称スガちゃんは出席番号順に並ぶと私の前になる。
体育は出席番号順に整列するので、たいていはスガちゃんと組むことが多い。
「写真部に持久力を求めんなっつーの」
「それは言っちゃだめだと思います」
スガちゃんは物事をはっきり言う方だ。
なっちゃんといい、古賀くんといい、私の周りにはそういう人物が集まりやすいらしい。
準備体操が終わってから先生のちょっとした説明を聞いてすぐにスタート。
最初は全く差がなく全員が固まって走っていたけれど、しばらく経過するとそれぞれの間に距離が生まれた。
そして、後方からスタートしたはずの私は気付けば一番前を走っていた。
毎年恒例のこの授業。
三年目ともなればコースも完璧に覚えていて。
あの公園のブランコの色変わったな、など周りの風景を楽しみながら走っていると、あっという間に校庭に戻ってきた。
残るのはトラック一周のみ。
一年生の最初のマラソンではこの400mを一周するのがものすごく辛かったのをよく覚えている。
最後の100mまで来た時、
「瀬戸ちゃんファイトー!」
となんとも元気の良い声が聞こえてきたのでそちらへ目をやると、第二体育館の校庭に面しているドアから古賀くんと三宅くんがこちらを見ていた。
天気の良い時は体育館は外へ通じるドアを全部開け放して風の通りをよくするのだ。
古賀くんの声援に後押しされ、見事に私は一位でゴールした。
先生にタイムを聞いて自ら名簿にタイムを書き込む。
そして他の生徒達が戻ってくるまでかなり時間があるのでクールダウンをしようと思ったが、その前に顔を洗うため軽いジョグをしながらグラウンドの隅に置いてあったタオルを手に水道へ向かった。
その水道は、古賀くんたちがいる第二体育館のドア脇に設置されていた。
「瀬戸ちゃん随分早かったね」
「んー。でも今日はそんなに急がなかったから次はもう少しタイム伸びそうだよ」
「さすが現役バスケ部員だな」
タオルを水道の上において蛇口を捻る。
勢いよく出てきた水は最初はぬるかったけれど徐々に冷たさを増してゆく。
その冷たい水でバシャバシャと音を立てて顔を洗った。
気持ち良い。ずっとこのまま水に触れていたい気分だった。
目を瞑ったままタオルを取ろうと手を伸ばそうとしたら、
「ほら」
バサッとソレが頭上に降ってきた。
顔の水気をふき取って顔を上げると、タオルを取ってくれたのは三宅くんだった。
「ありがと、三宅くん」
「どういたしまして」
そう言って三宅くんははにかみつつ笑った。
何故そこではにかんだのかはわからなかったけれど、その顔はなんだか可愛く思えた。
「三宅!次の試合俺ら」
「あ、わり!」
クラスメートが持ってきたビブスを受け取った三宅くんは慌てて行ってしまった。
「古賀くんは?」
「俺はこの次だよ」
「そっか。二人はバスケ得意なの?」
「まあまあかな。浩紀はタッパあるから立ってるだけで大活躍」
それはよくわかります。
だってほら。たった今始まった試合もジャンプボールは当然の如く三宅くん。
ちょっと飛んだだけで見事にボールをマイボールにした。
「ねえ瀬戸ちゃん?」
「ん?」
「浩紀、最近変じゃない?」
「え?」
古賀くんに問われて最近の三宅くんの様子を思い返してみる。
が、特に変だと思える出来事もなく。
今現在もバスケを楽しそうにプレイしている。くそう。羨ましいぜ。
「微塵もそうは思わないけど」
「全く瀬戸ちゃんはバスケ以外の興味が薄いよね」
「え、三宅くん何かあったの?」
「まあ、たいした変化じゃないよ」
「それは」
どういうこと?と続けようとしたら歓声が沸き起こった。
三宅くんがゴールを決めたらしい。ごめん。全然見てなかった。
三宅くんは無邪気に笑いながらチームメイトとハイタッチを交わしていた。
そんな彼とふと目が合ったので、
「次はダンクを決めてくだい!」
と言ってみたら
「無理言うな!」
とあっさり拒否された。
そんな三宅くんはやっぱりいつも通りで。
変なところなんてさっぱりわからない。
「いつも通りなんだけど?」
「ごめん。瀬戸ちゃんに期待した俺が馬鹿だったよ」
何か期待されてたの私。
「それはすいませんね。ご期待に添えませんで」
「本当だよ。たまにはバスケのこと以外も考えてみたら?」
「考えてるよ。今日の夜ご飯何かな、とか」
メニューの内容次第では一日の気分が変わってくる。
肉類だったら一日ハッピー。野菜炒めだけとかだったらローテンション。
「それ、女の子としてどうかと思う」
「もちろん他のことも考えてるよ。受験のこととか」
「あー耳が痛い」
古賀くんが両耳を塞いでしまったのとほぼ同時に、試合終了の笛が鳴った。
三宅くんごめんなさい。試合、微塵も見てなかったっす。
礼をした三宅くんが私たちのいる場所へ戻ってきた。
「お疲れ、三宅くん」
「おー」
かすかに汗をかいている三宅くんは、それはもうスポーツ少年な感じで爽やかだった。
「浩紀、ビブ貸して」
「おう」
三宅くんは脱いだビブスをそのまま古賀くんへ放り投げた。
それを受け取った古賀くんはビブスを身につけながらコートへと向かう。
「サンキュ。俺、ハットトリック決めてくるから」
「頑張って古賀くん!」
「それはサッカーだろ。瀬戸、突っ込めよ!」
「いや、古賀くんならできるかと思って」
「競技が違う時点で無理だろ」
三宅くんは律儀だ。こうして小さなボケにもちゃんと突っ込みを入れてくれる。
しばらく二人で黙って古賀くんの試合を観戦していたが、その沈黙を破って三宅くんが
「でさ、さっき何話してんだ?」
「さっき?」
「俺が試合してるとき。ずっと二人で喋ってたろ?」
「あー、あれね」
見られてた。ということは全く三宅くんの試合を見てなかったこともばれてるのか。
「そんなに重要な話はしてないよ。ただ私が古賀くんの期待に添えなかったっていう」
「期待?なんだそれ」
「私もよくわかんないけど。『瀬戸ちゃんはバスケ以外の関心が薄い』って」
「それは俺も同感」
そこで同意されるとなんだか複雑な気分だ。
私って他人からそんな印象をもたれているのか。
どこかでイメージチェンジ・キャンペーンでもしたほうがよいのだろうか。
「じゃあ、逆に聞くけど、他の一般的な女子高校生はどんなことに興味を持ってるの?」
「それを俺に聞くか。俺、男子高校生だけど」
「ですよねぇ」
しかし、私の周りにも一般的な女子高校生が少ない気がする。
というか、自分で言ってて“一般的”な女子高校生ってなに。
「あー、アレじゃね?」
「どれ?」
「……恋愛、とか?」
「ああ。一番メジャーな興味対象を見逃していたわ」
恋愛ねぇ。前に古賀くんと三宅くんと三人でそんなことを語った気もする。
そこで二人からひどい言われようをした記憶がある。
恋愛。れんあい。レンアイ。うーん……。
「無理、だなぁ」
今の私にはそこまでバスケ以上に大事だとは思えない。
バスケ、ご飯、受験だけで私の脳内はほぼ100%を占めている。
「いいんじゃねーの?」
「ん?」
「瀬戸はバスケ馬鹿のままでいいよ」
「さすがに古賀くんもそこまでは言ってないよ」
彼にも“バスケ馬鹿”だなんて一言も言われてませんが。
「女の子女の子してるより、体育会系一直線な瀬戸のほうが俺は好き」
「………………」
なんていうか、言葉が出なかった。
だって今の三宅くんの顔、いつもと違ってた。
うまく表現できないけど。違ったの。
「あっ、いや、その、変な意味でなくて。友達としてさ」
私が黙ってしまったことに三宅くんは慌てて解釈を加えた。
心なしか顔が赤い気がしたけど、それはきっと運動をしていたからだと思う。
「うん。ありがとう。私も、」
野球馬鹿な三宅くんと古賀くんが好きだよ
二人となら、ずっと友達でいられると思うんだ。
明日も、明後日も、ずっとこの先も。