これからはじめるCFD
夏が終わる前に



06. 単なる暇つぶし



お昼を食べ終えて一番眠い時間。五時間目。
本日五時間目の授業は世界史だ。

前の席の古賀くんは珍しく机に向かって必死にノートを取っているようだ。
いつもは漫画とか読んだりしていて、まったく授業を聞いていないのに。
明日は雨かな、などと天気の心配をしたりしていると、
先生が板書をするために背を向けた瞬間、古賀くんが後ろ手に丸められたノートの切れ端をポイッと放った。
私のノートの上に静かに落とされたそれを開いてみると、男の子らしい字で、

『せとちゃんひまー。じゅぎょーつまんない。あそぼー?』

と綴られていた。
見事に全部平仮名で。
あそぼー、て言われてもさ。困るよね。
授業中なんだけど、と思いながら私はそのすぐ下に一言書き加えた。
そして、また先生が板書をするタイミングを見計らって、古賀くんの背中をチョイチョイと突ついた。
古賀くんが手のひらをこちらに向けたので、そこにそっと紙切れを乗せた。
紙切れ、もとい手紙は無事古賀くんに回収され、古賀くんはそれを読んだ後、また背中を丸めて何か書き始めた。
すぐには諦めてくれなさそうだと思ったけど、それはやはり間違ってはいなくて。
古賀くんは再び私の方へ手紙をポイッと放った。
コントロールが狂ったらしく、その手紙は危うく机から落ちそうになったけど、私は慌ててそれを右手でキャッチした。
手紙を開くと、

『せとちゃんのじゃくてんってなに?』

こんなにストレートに弱点を聞かれたのは初めてだ。
しかもまたしてもオール平仮名で。漢字苦手なのかな。
その下に一言『なんで?』と加えてから、さきほどと同じ手順で古賀くんに渡す。
そんなやり取りがしばらく続く。

『このまえ夜の学校ふつうにひとりで歩いてたじゃん。こわいものないのかな、っておもって』

ああ、確かに歩いてたけどね。
夜のお墓一人で歩けっていうのは無理だけど、夜の校舎ぐらいなら大丈夫。
弱点、ねぇ。なんだろう?あまり考えたことなかったけど。
……あ、わかった。一つだけあった。

『空腹』

その二文字だけ書いて渡してやると、

『それ、ちょっとちがうとおもう』

違うのかな。空腹は弱点となり得ないのだろうか。
お腹がすいてると何にもやる気がしないし、頭は一切働かない。
完璧なストライキ状態になってしまうのだ。
ご飯がお腹いっぱい食べられるっていうのは、なんて幸せなことなんだろう。
弱点、弱点……。マジで思いつかないんだけど。仕方がないので、

『そう簡単に弱点なんて教えられない』

これで諦めるかと思えば、

『じゃあオレのじゃくてんおしえてあげるから』

一筋縄ではいかないらしい。なかなか食い下がるな。
だけど、古賀くんの弱点。そんなものあるのだろうか。
あるのならば、ちょっと知りたい。

『なに?』

そう尋ねると、返事はすぐに返ってきた。

『べんきょう』

それこそちょっと違わないか?
確かに、順位は後ろから数えた方が早いけど。
でも、仮にも受験生なんだからそれ言っちゃ駄目でしょう。

『前より多少は成績良くなったでしょ』

この前の第二中間テストでは、古賀くんの順位は第一中間よりも30番だけ上がった。
これ以上成績が下がったら本気で試合に出してもらえないと古賀くんと三宅くんが騒ぐから、部活がテスト休みに入るなり、私の特別講習が開始された。
ちなみに三宅くんも順位が50番ぐらい上がった。
それ以来、私は野球部の人たちから尊敬の眼差しを送られることとなった。

『せとせんせーのスパルタのおかげだね』

それはそうだ。私の努力の賜物だ。
そうなんだけど、これは、この文章の下にこっそり描かれている物体はなんなのだろうか。
丸い、目の回りが囲ってある……タヌキか?

『可愛いタヌキだね』

ちょっとお世辞交じりで誉めてやれば、

『せとちゃん、めわるいんじゃない?』

これでも視力は両目とも1.5はあるはず。悪いなんてことはない。
タヌキではないらしい。ではこの生き物はなんなんだ?
それ以前に、これは生き物で合ってるんだよね?

『わかった。アライグマ』

『どこをどうみたらアライグマにみえるのかおしえてほしいぐらいだよ』

そんなのこっちだってコレが一体何者なのか教えて欲しい。
タヌキでもアライグマでもない。レッサーパンダか?
わからん。まったくわからん。
黒板の内容をノートに取りながら必死に考えてみたものの、まったく答えは出ない。
そうこうしているうちに、授業終了の鐘が鳴った。
先生が教室を出ていってすぐに、ずっと背中を向けていた古賀くんが振り向いた。
「瀬戸ちゃん、これのどこがタヌキなんだよ」
「どこをどう見てもタヌキでしょ」
「全然違うでしょう。ねぇ浩紀?」
「あ?」
突然振られた三宅くんはキョトンとした顔で私たちを見た。
「三宅くん、これ何に見える?」
私は問題の絵が書かれた紙切れを三宅くんの鼻先に突き付けた。
三宅くんはそれを手にとってしばらく考えた後、
「世界史の山本だろ?」
「は?」
三宅くんはあっけらかんと答えた。
それはつまり、ついさっきまで世界史の授業をしていた山本先生のことか。
「さすが浩紀はわかってるね。なんで瀬戸ちゃんはわからないかな。動物と人間なんてそうそう間違わないでしょ」
「これは間違えて当然だと思う」
だってさ、人間に見えるポイント一つもなかったじゃないか。
「まぁ、瀬戸がわからないのも無理ないよ。英志は画伯だから」
「それほどでもないけどね」
「誉め言葉じゃねーって。英志の絵はそのまま素直に見たらなんかよくわからないから、パーツ崩して頭の中で再構成してやらなきゃ、それがなんだかわからねーんだよ」
「それ、すごい技だね」
三宅くんは実はものすごい技術をお持ちなのかも。
「英志の絵見続けてたら自然に身についてたっつーか」
「山本先生、ねぇ……」
三宅くんに言われた通りに見てみたけど、やっぱりわからん。
どこをどうやって崩して再構成したら山本先生になるのか。
「無理すんな。英志の絵ずっと見てると具合悪くなるぞ」
「失礼だよ浩紀。ところで瀬戸ちゃん」
「なに、古賀くん?」
「さっきの授業のノート見せて?絵描くのに必死でほとんど写せてないんだよね」

君はなんてフリーダムなんだろうか。
まあ、それでこそ古賀くんなのだけれども。

「仕方ないな。けど変な絵、描いたりしないでね」
「たぶん」
「ちょ、たぶんて!」

いつもより授業が終わるのが早く感じたのは確かだから。

たまには、


こんな日も良いと思った。


BACK     TOP     NEXT