もうすぐ夏がやってきて。
インターハイ予選ももうすぐで。
練習にもいつも以上に熱が入るはずだった。
はずだったのに、
「体育館使えないとか、ありえねーべ」
一人愚痴をこぼしながら、コンビニに足を踏み入れた。
店内はエアコンが効いていて、蒸し暑い外に比べれば天国のように感じた。
最近、古い第一体育館の雨漏りが発見されて、今日はその修理のために体育館が閉鎖されてしまった。
当然の如く部活はできない。
第二体育館では男子バスケ部が練習しているだろうに。羨ましい。
しかし、だからといって家でぬくぬく過ごしていられない私たち。
女子バスケ部のやる気ある五人組は学校裏の公園にあるバスケットコートで練習をすることにした。
とはいっても、ほぼ遊びなのだけれども。
しかし、現在の気温28度。
外で運動すると否応なしに汗が出る。そして水分と涼しさを求める。
誰かがアイスが食べたいといえばみんなが同意をする。
そこで開催されたのがジャンケン大会だ。
バスケットコートから一番近いコンビニまで徒歩10分。頑張って走れば5分強。
そんな中アイスを買いに走るのは一体誰なのか。
それぞれの命運を賭けたジャンケン大会で負けたのは、
「シュート対決なら負けないのに」
私だ。
みんながパーを出す中でグーを出して、見事な一人負け。
「早く買って帰らなきゃ」
そう思ってアイスのコーナへ足を向けると、見知った人物がいた。
「あ、三宅くん」
「よぉ」
制服姿の三宅くんだった。
アイスの入っているクーラーボックスをのぞいていた三宅くんは私に気付くと、軽く右手を上げてみせた。
「ひとり?」
「ひとり」
「珍しいね。古賀くんが一緒じゃない」
「別に俺ら24時間365日一緒にいるわけじゃねーよ?」
それはそうだろうけど。
校内で二人はほとんど一緒だったから、セットでいるのが当たり前だと思ってた。
「そうだよね」
「俺はおつかい中。他のヤツラは部室でトランプ中」
「要はトランプに負けて罰ゲーム中、と」
「随分と察しのいいこと。瀬戸は?今日部活なんじゃないの?」
「一体(いちたい)は雨漏り修繕中。女子バスケ部の数名は裏の公園で自主トレ中」
「シュート対決にでも負けた?」
「いや、ジャンケンで」
「なんだよ。バスケ部らしくねーな」
「それ言ったら野球部だってトランプとか」
「ははっ、ヒトのこと言えねーな」
そう言って三宅くんはクーラーボックスの中からガリガリ君をいくつか取ってカゴに投げ入れる。
「全部ガリガリ君?」
「そんな何種類も覚えられねーし」
それに夏といえばコレだろ、と言って三宅くんはカゴの中のアイスを数え始めた。
その隣で私も目的のアイスをカゴに入れる。
バニラ、ガリガリ君、ピノ、チョコミントのやつ、チョコモナカ。全部で5個。
「全部種類違うじゃん。よく覚えられんね?」
「女バスのレギュラーは妥協という言葉を知らないので」
そう答えると、三宅くんは「そうなんだ」と言って笑った。
それぞれお会計を済ませてコンビニを出ると、店内との温度差が大きすぎたせいで殊更暑く感じた。
隣で三宅くんが小さく「あっちー」と呟いた。
店の前に置いていた自転車のチェーンを外している三宅くんを見てあることに気がついた。
「三宅くん、チャリ通だっけ?」
「いや?俺はJRだから……あ、このチャリは野球部のやつの借りた」
「あ、そうなんだ」
まあ、普通はそうだよね。学校からコンビニ遠いし。
「瀬戸は?」
「え?」
「チャリ」
「ないよ?」
短くそう答えると、三宅くんは一瞬何か考えてから、
「ここまでは?」
「ラン」
「マジで?」
三宅くんが本気で驚いた顔して私を見た。
だけど私にとっては、なんというか、日常茶飯事的な出来事であって。
「これもトレーニングの一貫だってさ。ホラ、女バスは妥協を知らないから」
「戻る頃にアイス溶けてるんじゃないの?」
「溶けないように頑張るんだよ。気合いでカバー?」
「気合いでカバーできるような問題でもないと思うけど」
苦笑いを浮かべながら三宅くんは自転車のスタンドを外して、サドルにまたがった。
そして自転車の頭を学校方面に向けると、
「ほら」
「なに?」
一体何がほら、なんだろう。
「うしろ。乗れよ。荷台ないから立ち乗りだけど」
「あ、お気になさらず。走るのは得意だから」
「お前は良くても俺が良くないの。女の子に走らせておいて一人チャリとか。そんなことしたら男失格だから」
一瞬言葉が出なかった。
そこにいつもの三宅くんの姿はなくて。
でもやっぱり悪いなと思ったから断ろうとすると、
「あの、」
「いいから早く乗れ!アイスが溶ける!」
私の言葉を遮って強い口調で言い放つと、私の手からアイスの入った袋を無理矢理ひったくって、自転車のカゴに乱暴に投げ入れた。
これは逆らわない方がよさそうだ。
アイスも奪われたし。
「じゃ、じゃ……お願いします」
私は自転車後輪のでっぱりに足をひっかけて立ち、三宅くんの両肩に掴まった。
「いいか?」
「大丈夫」
「よーし、出すぞ」
自転車はゆっくり動き出した。徐々に加速してゆく。
風が気持良い。行きとは大違いの快適さだ。
「ちゃんと掴まってろよ。落ちても俺責任取れねーから」
「責任て?代わりにインターハイ出るとか?」
「そうそう。俺、女装とかやだし」
「…………似合いそうだけど」
「おまえ、一瞬想像したろ?!勝手に脳内で女装させんなよな」
「可愛かったよ?可愛いっていうか、キレイってかんじ」
「うれしくねー」
心底嫌そうだ。
顔は見えないけれど、どんな表情をしているのかは容易に想像できた。
「そんなに嫌?」
「嫌っていうか、男はやっぱり“カッコイイ”って言われるのが一番嬉しいの」
「そうなんだ。でも、さっきの三宅くんはカッコ良かったかも」
「どれ?」
「『そんなことしたら男失格』ってやつ。ちょっとキュンときた」
素直に誉めてやれば喜ぶと思いきや、
「え、ええぇっ?!」
三宅くんの運転が突然乱れた。自転車が大きく揺れる。
真剣に落ちるかと思ったけど、すぐに立て直された。
本気でもうダメかと思った。
「何、どうしたの?!」
「お、ま……おまえなぁ!なんでいきなりそういう……」
「え、なに?」
なんでかわからないけど私が怒られた。
誉めて怒られるとか、まったく予想だにしなかったことで。
「や、なんでもない」
「なんでもなくないよ。一歩間違えれば私のインターハイ出場がなくなってたかもしれないんだからね!」
そうなってたら本気で責任取ってもらわなきゃいけなくなってたかも。女装で。
「いや、あの……まさか瀬戸の口から“カッコイイ”とか出るとは思わなくて」
「自分でそっちのほうが嬉しいって言ったんじゃん」
「そうだけど。瀬戸だぞ?誰が想像できただろうか、いやできなかっただろう」
「ここで反語とか。私だって女の子だよ?そりゃ誰かをカッコイイと思うこともあるよ」
ちょっと怒りをこめて反論してみれば、
「悪い悪い。瀬戸も立派な女の子だもんな」
三宅くんは笑いまじりに謝罪の言葉を口にした。
本当に悪いと思っているのか怪しいけれど、一応謝られたので許そうと思う。
「そうそう。だからね、さっきカッコイイって思ったのはホントだよ。本気で三宅くんがカッコイイと思ったの」
「……ん。サンキュ」
今度は自転車が傾くことはなかった。
「なー、瀬戸?」
「なーにー?」
「来週の日曜なにしてる?」
「来週はねぇ、午前中は部活かな。午後は暇」
何にもすることがなかったら、部活の誰かを誘って自主トレとかして時間を潰してるはずだ。
「だったらさぁ……」
そう言いかけて、三宅くんの言葉が詰まった。
「なに?」
「夏大の初戦あるんだけど、見にこねー?」
ああそうか。
野球部はバスケ部よりも早く夏が始まるんだ。
「来週なんだ」
「そ。うち別に強豪校とかじゃないから、応援が全然いなくて」
公立高校の運動部なんてそんなもんだと思う。
特に良い成績を残していない限りは。
「んー、いいよ」
「マジで?」
「うん。どーせ暇だし」
「瀬戸が来るなら俺頑張っちゃう」
「公式戦見に行く時って制服のほうが良いのかな?」
他の部活の公式の試合なんて見に行ったことがないからわからない。
休日に部活の時はいつもジャージで学校行くし。着替えるの面倒だから。
「全校応援とかじゃないからなんでも良いんじゃねーの?あ、でも……」
「なに?」
「ミニスカとかだと、尚更気合い入るよな。俺が」
「ジャージで行くわ」
はい決定。前で三宅くんが「なんだよケチー」とか文句を言っている。
そして、
「でもさ」
「うん?」
「瀬戸が見に来てくれんなら、なんでもいいや」
それに呼応するように、小さく「がんばれ」と呟いてみた。
きっとそれは三宅くんの耳に届いてはいないだろう。
自転車に揺られながら空を見上げる。
雲ひとつない青空が広がっていた。
公園に着くまで、ひたすら空を見ていた。
だから気付かなかったんだ。
三宅くんの耳が赤く染まっていたことなんて。
ほんの短時間の出来事だったけど。
私の中の三宅くんのイメージが大きく変わるには十分だったわけで。
なんていうか、当たり前だけど、男の子なんだと思った。
動き出すまでは、あと少し。