これからはじめるCFD
夏が終わる前に



08. メールアドレス



「あー、おはよー三宅くん」
「ん。はよ」
自分の席で鞄から教科書を出していると、三宅くんが一人大きなあくびをしながら教室にやってきた。
「一人?」
「一人。って、なんかこの会話が激しくデジャブなんだけど」
「奇遇だね。私も」
「奇遇っていうか。一昨日のハナシだし。えーと、英志は四組の前で野球部のやつとダベってる。長くなりそうだから先に来た」
「そっか」
三宅くんはもう一度大きなあくびをしながら私の右斜め前の席に座った。
左手で一応口を隠そうとはしているが、開けられた口が大きすぎて隠しきれていない。
「随分眠そうだけど、どうしたの?夜更かしでもしたの?」
「あー、英語の訳時間かかってさ。あれってめちゃくちゃ時間かかんだな」
「……ど、どうしたの?」
「は?なにが?」
「だって、三宅くんが自分で予習してくるとか……」
いつもなら古賀くんと二人で明るく見せてって言ってくるのに。
正直、三宅くんが英語の予習してきたとこなんて初めて見ました。
「お前ね。どんだけ失礼なんだよ。俺だってやるときゃやるんだってば」
「や、そうなんだろうけど……あ、もしかして頭とか打ったんじゃ?部活中に打球がガツンと」
「ねーよ」
「じゃ、何か気の迷い?」
「迷ってない」
「じゃあ……」
なんだ。熱に浮かされて気が動転したとか。
いや、それだけ熱出てたら学校来てないか。
やっぱり知らない間に頭ぶつけたんじゃ……。タンスとかベッドに。
「コラコラ。全部口に出てるぞ」
「え、嘘?」
三宅くんに指摘されて思わず両手で口をおさえた。
心の中、だだ漏れですか。
「本当。熱でもなければタンスでもベッドでもない」
「え、じゃあなんで?」
「予習してくるのに理由求めるのもどうかと思うけど。しいてあげるなら……俺ら三年じゃん」
「今更確認するまでもなく三年生だね」
「でさ、受験生じゃん」
「うん。そうだね」
「だから、ちょっとぐらい勉強する習慣つけとかなきゃまずいなと」
「は?!」
なんかもう予想外な回答だったもんだから、声がそれしか出なかった。
中途半端に口開けたままポカーン。
「ちょ、驚きすぎ」
「や、だって。三宅くんちゃんと考えてるんだね」
「考えてるさ。たぶん英志も何かしら考えてると思うけど。……あのさ、ちなみに、ちょっと聞いてもいい?」
「なに?貯金と体重の話以外ならなんでも聞いて?」
「そんなん聞かねーから。瀬戸の第一志望ってドコ」
何を聞かれるのかと思えば。進路の話か。
「一応は国立目指してるけど。一応だよ、一応」
一応を強調してみる。
第一志望の大学はなんとなく決めてはいるけど、届くかどうかまだわからないし。
センター試験の成績次第では変えるかもしれない。
「だよな。そうだろうとは思ってたけど……」
「うん?」
「自分とのレベルの差を知って愕然としたっていうか」
「ええ?!どういうこと?!」
なんかもう今日は朝から驚きっぱなしだ。
これは何かの作戦なのか。私を動揺させるための。
「俺、国立とか絶対無理」
「三宅くん、国立行きたいの?」
「あー、いやー、別にそういうわけじゃないっていうか、そうでもないっていうか……」
なんだか煮え切らない返事だ。本当は行きたいけど隠してるみたいな。
「諦めるのはまだ早いよ。まだわかんないって」
「自分の実力はわかってるつもりだけど」
「夏休みだってまだなんだからさ。世の中の受験生は夏休みぐらいからカッツカツに勉強始めるんだよ?!まだ間に合う!」
「あ、そうなんだ」
「知らないけど。予備校とか行ってないから他の受験生の話は予想」
「あんだけ自信満々に言っときながら予想かよ」
アテにならなさそー、と言って三宅くんは笑った。
あ、今日はじめて笑った三宅くん見た。
「部活も大変だろうけど、今から死ぬ気でやれば大丈夫だよ!頑張って!!」
「なんか。初めて瀬戸に励まされた気がする」
「私はいつでも三宅くんを応援しています」
「嘘こけ。いつもはいじるか貶すしかしねーだろ」
「古賀くんにつられてね」
「最近は瀬戸がソロでいたとしても相当ひでーぞ」
「え、えへ」
笑ってごまかしてみたけど。なんか逆効果っぽい。
三宅くんがめちゃくちゃ睨んでるんですけど。
「それは大変申し訳ない。お詫びになんか勉強でわかんないことあったら聞いて。ちなみに化学と物理以外で」
「化学と物理苦手なん?」
「そらもう壊滅的に」
化学と物理は私の理解できる範疇を超えている。
有機物とか無機物とか鉛直運動とかドップラー効果とか。
何それ美味しいの?的なレベルだ。
「んじゃ早速聞きたいんだけど」
「なんだね?」
「英訳でさ、どうしても意味繋がんねーんだけど。そっから訳進まねーの」
「どこ?」
そして三宅くんが自分の英語のノートを持って、自分の椅子を私の机の右斜め前に寄せた。
「この4行目のとこのさ……」
「何やってんの?」
声のした方に向かって私と三宅くんが同時に顔を上げた。
気付けば三宅くんの後ろに古賀くんが立っていた。
野球部の人とのお話は終わったのかな。
「おはよー古賀くん」
「おはよー瀬戸ちゃん。何やってんの浩紀?」
「英訳わかんなかったとこ聞いてんの」
「え、まさか浩紀予習してきたの?どうしたの?頭でもぶつけた?!」
「なんかまたしても激しくデジャブなんだけど」
古賀くんのセリフはまさしくさきほど私の口から出たのとほぼ同じセリフでございます。
三宅くんは眉間に皺を寄せた。
なんとなく気持ちは分かるけど。
「っていうのは冗談で。まあ理由はなんとなく予想できるけどね」
「え、わかるの古賀くん?!」
「わかるよー。だって俺たち親友だもん」
古賀君は笑顔でそう言った。
一方三宅くんは苦笑い。だけどまんざらでもなさそうだ。
どっちかっていうと嬉しい、みたいな顔。
なんていうか、見てるこっちがこそばゆい。
「浩紀さ、訳わかんなかったら昨日瀬戸ちゃんに電話かメールすればよかったんじゃないの?」
「ってもなぁ……。俺ら交換してねーし」
「そういえばそうだね」
よくよく考えたら、私三宅くんのメアドも番号も知らないや。
今まで連絡を取る機会もなかったし。
「嘘?!そうなの?!」
「え、英志しってんの?」
「知ってるよ。二年の時交換したんだもん。ね、瀬戸ちゃん?」
「なんていうか。ノリでね」
「そうそう。ノリだよね。会話の流れ的な感じで」
去年の春休み前ぐらいに古賀くんと二人で会話してたとき、どういう流れかは忘れたけどメールアドレスの話題になった。
私のアドレスが皆に変だって言われるということを話したら教えてって言われて。
そんなこんなで交換、みたいな。
「んだよ。俺も混ぜろよ!」
「だって浩紀いなかったし」
「なんで俺いないんだろ?」
「進路指導に行ってたんだよ。三宅くん」
「そんで俺ら教室で順番待ちしてたんだ」
そうだ。けっこう思い出してきた。
あまりにも暇だったからかなりの長話を古賀くんとしてたっけ。
「ふーん……そうなんだ」
「そうなんです」
あれ。なんだこの微妙な空気は。
三宅くんはなんとも言えない顔して黙っちゃうし。
また眉間に皺なんか寄せちゃって。
仲間はずれにされて機嫌悪くなっちゃったのかな。
もしかして三宅くんてば……
「三宅くんを仲間はずれにしてたわけじゃないからね!」
「はぁ?!」
「え、違うの?!それでいじけてたんでしょ?!」
「違うし!」
はぁ、と三宅くんは深いため息を吐いた。
そこまで的外れなこと言ったか、私。
「まーいいじゃんね。昔のことなんだから。瀬戸ちゃん、浩紀にもメアドと番号教えてあげてよ」
「いーよ」
「え、いいの?」
「うん。全然いーよ」
別に知らない人に教えるわけじゃないし。
三宅くんはもう友達だから大丈夫。
携帯を鞄から出してパカッと開く。
三宅くんも制服のズボンの後をポケットから取り出してパカッと開いた。
「赤外線?」
「ちょっとまってね。この携帯最近変えたばっかなんだよね。まず赤外線機能捜索するわ」
「瀬戸ちゃん携帯変えたんだ」
「なんか電話が繋がらなくなってさ」
私は赤外線機能が使える画面を探しながら答えた。
前の携帯使いやすかったんだけどな。
だけど丸々四年間もったんだから花丸をあげたい。
「それ携帯電話じゃないよね。“携帯”っていうのはいいけど“電話”は名乗ったらダメじゃん」
「ですよねぇ。あ、あったよ三宅くん。赤外線送信準備完了しました。受信してね。って、やっぱりちょっと待って。赤外線ポートがどこにあるかわからない」
「コレじゃね?」
「ん、そだそだ。じゃ、気を取り直して送信します」
「おー」
お互いの携帯電話の赤外線ポートを合わせて、送信……完了。
同じ手順で三宅くんのアドレスも受信完了。
「よかったね、浩紀。これで仲間はずれじゃなくなったよ」
「そーな」
「仲間はずれじゃないから!」
「それはもういいよ。ところで瀬戸のアドレスって、なんて読むの?オ、オユレ……適当にローマ字並べた系?」
携帯の画面をジッと見ながら三宅くんが私のアドレス解読に挑んでいる。
「やっぱり変なのかな。そんなに難しい暗号でもないんだけど」
「え、暗号なの?」
「そーじゃないんだけど。逆向きに呼んでみたらいいと思うよ」
「逆向き?」
「後からってこと」
「えーっと?ア、シ、タ、ハ……?」
「やっぱり変なのかなぁ?」
私的には普通だと思うんだけどな。
世の中にはもっと変わったアドレスの人なんか星の数ほどいるよ。
だけど私の周りにはなんだか名前とかあだ名とか誕生日の融合系という一般的な人が多いから。
なっちゃんにいたっては番号のままだ。
変えたほうが良いと言ったら面倒くさいと言われてしまった。
もう何も言うまいと決めた。
「それさ、」
三宅くんがそう言いかけたところで先生が来てしまった。
出席と朝のSHRがはじまる。
先生の連絡事項もろくに聞かずにボケーっと窓の方を眺めていたら、机の中に突っ込んでいた携帯がピカピカ光った。学校にいる時は音もバイブ鳴らずに光るだけの設定にしている。
先生に見つからないように携帯を開いてみると、メールが届いていた。
差出人は、さっき登録されたばっかの三宅くん。


from.三宅浩紀
件名.おれはさー
けっこう好きだけど。
瀬戸のアドレス。
パクリたいぐらい。
なんか、元気出る。
― end ―


思わず笑いがこぼれた。
パクリたいと言われたのは初めてだ。
三宅くんに返事をする。


To.三宅浩紀
件名.(no title)
そんなん言われたの
初めてだ。
ありがと。
― end ―


今日は悪いことばっかり起こったとしても、明日は良いことが起こるかもしれない。

今日元気をなくしていても、明日は笑えるかもしれない。

今日が駄目でも、明日こそは頑張れるっていう希望を忘れたくない。

だから信じてみようと思うんだ。


明日はきっと晴れるよ。


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